不明瞭な私個人の問題

小説を書き始めたのは衝動ではなかった。きっかけは芥川龍之介の『戯作三昧』を田舎の中学校の生徒だった頃読んだことだった。それから高等学校を経て皇居近くの大学に進学し、四年次で自主退学した。学部学科は法学部法律学科だったが専門は国際関係論で難民法と国際貿易を研究していた。持病の影響もあり、その後何度か入院した。その際にIQテストをすると150〜200あると博士からお墨付きをもらい「芸術の道に進むべし」との助言をいただいた。それからさまざまな経験を経て今に至る。
平野啓一郎先生との出会いは単行本の『日蝕』にサインをもらったことだった。この小説は今も折あるごとに読み返して糧をもらっている。私は小説家になることを意識した回数はそう多くない。中学校の頃、学生の頃、そして今だ。文学の森は2021年7月24日からだった。なぜ覚えているかというとその日が芥川龍之介の命日だからである。私は作家の中で芥川龍之介を最も尊敬している。芥川龍之介の命日を河童忌、我鬼忌というがかなり不満を感じている。太宰治は桜桃忌とカッコいいのになぜ芥川龍之介は歯車忌とならなかったのか?芥川龍之介の最高傑作は『歯車』ではないのだろうか?私は芥川龍之介の命日に『歯車』を読む。『歯車』は揶揄されがちだが、小説としてよくできている。作品の中の自己と執筆している自己との対比という芥川龍之介の初期の問題意識が如実に書き表されている。芥川龍之介は『戯作三昧』で曲亭馬琴に自己を見出し、『地獄変』で画家と殿様に自己を見出した。芥川龍之介は小林秀雄が言うような「一つの長編も残さなかったエッセイスト」などではない。明治から昭和にかけて透徹した眼力を持ち、明晰な頭脳を持って、古典を題材に現代を批評し、『羅生門』、『鼻』、『戯作三昧』、『河童』、『蜜柑』、『クラリモンド』、『上海游記』、『藪の中』、『杜子春』など多彩な作品群を残し、『歯車』を遺作として書き、「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」と書き残し亡くなった。これは芥川龍之介個人的な感傷と捉えられているが、私は社会全体の風潮なのではないかと思う。その後戦争が起きて日本は壊滅的打撃を受け、戦後文学界も盛り上がりを見せるが、不安定な精神状態や色好みについての作品が多くなり、芥川龍之介のような気骨のある作家は一人もいなくなった。それから日本でも最大規模の文学賞である芥川龍之介賞が創設され流行作家やノーベル文学賞を受賞する作家を輩出するようになるが森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介の三人のような大局を志向する作家はいなくなった。私が文学の森を通じて平野啓一郎先生を礼讃する理由は古典を題材に執筆し、純文学の新章を刻んだ点、コミュニティを作り後継に知識を伝授している点、AIも自作に取り入れテクノロジーや科学を文学化しようとしている点、この三つを基盤としてさらに『私とは何か』『文学は何の役に立つのか?』などで文学と一般読者に架け橋を作ろうとしているところなど総じて難解な文学とわかりやすさを求める読者との間に太いパイプを作ろうとしている部分が私にとって感銘を与える。平野啓一郎先生の語り口は時に優しく時に難解である。平野啓一郎先生は「現代の芥川龍之介」なのではないだろうか?むしろ平野啓一郎先生は芥川龍之介の生まれ変わりなのではないか?2027年はは芥川龍之介没後百年である。私は来年芥川龍之介賞を受賞し、作家として名を馳せたい。もしかしたら私も芥川龍之介の生まれ変わりかもしれない。私は文学を、陶冶することによって生きてきた。私は自分から死を選ぶことなどないだろう。この人生の中で今が絶頂であると確信している。私はこの文学の森で小説のスタイルを確立して平野啓一郎先生に認められるくらいの作品を書きたい。私はまだ修行の身であり、現実においても無名である。この無名の告白を読んでいる人々に恩寵があるように私は執筆を楽しみつつ本気で文学と向き合いたい。今日が私の始まりの日だ。

2026年8月20日木曜日

月波晴風