時代を経て、 『トーニオ・クレーガー』は常に、十代の繊細な劣等感と羨望、美への憧憬と人間への愛、そして、芸術の魔性と魅惑を代弁してきた。本書が存在しなければ克服され得なかった孤独が、どれほど存在したことか!
(平野啓一郎の帯文)
文学の森、2025年7月からのテーマ作品は……トーマス・マン 『トーニオ・クレーガー』(岩波文庫/小黒康正訳)を読みます。Amazonはこちら
ドイツを代表する作家トーマス・マン(1875–1955)が、今年生誕150年を迎えます。その節目に、代表作の一つである『トーニオ・クレーガー』の新訳が、岩波文庫から刊行されることになりました(6月17日発売)。
『トーニオ・クレーガー』といえば、平野さんにとっては三島由紀夫『金閣寺』と並んで「文学への目覚め」のきっかけとなった作品。
当時の感動を、平野さんはこう語っています(講演録「文学は何の役に立つのか?」より)
『トーニオ・クレーガー』の主人公は美的なもの、詩的なものに強い憧れを持っていながら、一方で市民社会的なものに対しても非常に強い憧れを持っているんです。その感じに僕は非常に共感したんです。「まさにこれは、俺のことを書いている」と。
どうして二〇世紀の初頭のドイツ人が北九州に住んでいる一〇代の俺の気持ちをこんなに分かってくれるんだ、親よりも、友人よりも分かってくれると感激し、また非常に単純でしたから、トーマス・マンがノーベル文学賞を取ったことを知り、俺は下らないことでうじうじ悩んでいるような気がしていたけれど、実はノーベル賞作家と同じことを悩んでいたんだな、と思い付き、けっこう人類的に重要なことを悩んでいるんじゃないか(笑)、という気がだんだんしてきました。それで、悩んでいること自体を励まされるというか、心強い援軍を得た気がしたんです。
文学を愛する読者にとって、『トーニオ・クレーガー』は特別な一冊です。読書という行為そのものが、しばしば「普通」との距離を生み出すもの。芸術に惹かれながらも、「普通の社会」の中で生きたいという相反する願いを持つ人にとって、トーニオの苦悩や孤独は決して他人事ではありません。
芸術とは何か。生きるとは何か。その問いを真摯に見つめ続けたマンの原点ともいえる本作を、皆さんで一緒に読んでいきましょう。
【今後のイベントスケジュール予定(仮)】
7月12日(土)11:00〜12:30 『トニオ・クレーガー』を語るメンバー読書会
7月25日(金)19:30〜21:30 平野啓一郎が『トニオ・クレーガー』を語る
8月27日(水)19:30~21:30 平野啓一郎がゲストと『トニオ・クレーガー』を語る