世界に存在するものはほぼ全て誰かの考えたものだ。

僕は自分で何を生み出したいのか?

自分に問うが答えは出てこない。

20年くらい自分に対して

悶々とした感情を抱いている。

正直、能力はあると思う。

だが、その活かし方がわからない。

能力の活かし方をわかっている人を

天才と呼ぶのだと思う。

今日から毎日日記のように

この文章を綴っていくが

自分の持っている【希望】を

見つけるような文を形作りたい。

僕は今やっている仕事を続けることが

微力かもしれないけれど

社会貢献になると思っている。

【小説家になる】というのは

夢であり志であり一縷の希望だ。

有名になりたいお金持ちになりたい

など多くは望まないが

小説には魔力があるのか

僕は10歳の頃から

小説を書き続けている。

画家が絵を描くように

詩人が詩を紡ぐように

僕は小説を書き続けている。

否定されたりしたこともあった。

でも僕は書くことを続けた。

そこに答えはないのだが

僕は自分の一生自体が

文学のようだと感じる。

ここでは書けないことも

文学──ひいては小説──なら

書ける。

この文学の森はイベントに参加するの

はもちろん他にも楽しみ方がある。

僕の楽しみ方の一つが

ブログを書くことだ。

今日午後からサッカーの試合を

観戦してくる。

初めてJリーグの試合を観てくるので

楽しみだ。

雨の予報だがまだ中止の連絡は

来ていないので味の素スタジアムに

行ってくる。

ほとんど期待していないけど

もしかしたら文学的な出来事が

あるかもしれないし。

僕は奇跡というものを信じない。

目で見たものだけが真実だと

思っているので今まで奇跡を

観たことがないから奇跡を信じない。

自分が生きているのも

大谷翔平がスターになったのも

偶然の積み重ねで全部計算したり

言葉にしたりすることができると

思っている。

計算できないこと言葉にできないこと

それ自体に罪はないが人間の能力の

限界なのだと思う。

僕はいつか総合的な小説を書きたい。

ジャンルを自由自在に行き来して

何千年も残るようなものを書きたい。

村上春樹さんが私淑する師匠だとして

平野啓一郎さんは天才作家であり

師匠というのも烏滸がましいので

先達と言うべきかもしれない。

このお二人が生きている限り

文学の秩序は保たれると思う。

長々と書いてきたが

僕が言いたいのは【想像力】には

限界があり一人一人使える総量が違う

と言うことだ。

今まで歴史に残ったり

教科書に載ったりした人は

【想像力】の総量が大きくて

自分の持っている力を

若い頃から存分に発揮してきた人たち

だと思う。

僕は小市民なので【想像力】は

そんなに大きくないが

小さい頃何度か大人から【神童】と

呼ばれたことがある。

そのなれのはてがこの無様な姿だ。

もう僕は作家になることも

歴史に名前を連ねることもなく

一生を終えるだろう。

それはわかっている。

文学の森に入ったのも

自分で表現する場を見つけたかった

からだ。

29歳になって【想像力】は枯渇して

きたのを感じている。

色々と矛盾しているが

一筆書きで書いたのでしょうがない。

僕は小説もファッションも芸能も

全部夢が絶たれた。

あとはボーナスタイムのように

自由時間として使うしかない。

このブログは──最後のあがき──

僕が生きた証として残しておきたい。

2024年6月2日    木下雄飛書く